わたしの生い立ち
何故、フィンガーペイントのイベント講師&キット販売&認定講座をするに至ったのか?を話すには私の生い立ちや子育てから続いている。
私、小澤美和(おざわ みわ)は静岡県の生まれ、うなぎとみかんを食べ緑茶を飲んで育った。
静岡県の学校は蛇口から三ケ日みかんジュースや緑茶が出るというのは都市伝説だが、小学生の頃は、授業の合間の休み時間に水筒に入れた緑茶でうがいをする文化があった。
※一部の学校だけかも
未就学児の頃から母の影響で絵画を習っていて
物心つくころから絵の具に触れて育った。
習うというより、遊んでいた感覚に近く
描くことより、バケツの水で筆を洗う過程で色が混ざるのが面白く
その記憶ばかりが残っている。
とはいえ、MOA美術館児童画コンクールで受賞するなど
描くこともしっかりやっていたようだ。
今思うと、描くことは私の生活の一部で特別でもなければ
追及することでもなかった。ただただ色に触れるのが好きだった。
その為、就学してからはスポーツや友人との遊びに夢中になり
絵画は中学生になる頃から遠のいてしまった。
時は流れ、高校は福祉系、大学は医療系に進み
大学病院へ就職した。
病院では様々な経験を積みながら、最終的には小児循環器(子供の心臓や血管の病気の治療)に携わっていた。
この時の経験が後にキットを作りたいと強く思うきっかけとなる。
活動をはじめるきっかけ
その後結婚をし、娘息子息子の3人の子供に恵まれた。
娘は赤ちゃんの頃からよーく泣く子で、自信がなく泣き虫だった。
好きな遊びは図鑑を読むことで、お友達が塗り絵やお絵描きをする年齢になっても娘はやろうとしなかった。
心配になった私は様々なクレヨンやノートや塗り絵を準備してみたが、少し持って書いてみるものの1回で飽きてしまう。
「どうしてお絵描きしないの?」と聞いてみると
「手が固くて動かないし、お友達は上手だけど私は下手だからやらないの」と答えてくれた。
理由はわからないけど、きっと集団生活の中でお友達の悪意はない言葉を気にしてしまったのか、自分で無意識に比較してしまったのだろう。
勿論「そんなことは無いよ!友達と比べることじゃないよ」と伝えたが
その後も書くことは無かった。
私が幼い時に感じた【色を楽しむ感覚】を、娘にどうやって伝えられるだろうか?と考え、家で様々な遊びを行った。
なるべくカラフルで、楽しくなるような手作りおもちゃや色彩・感覚あそびを考え、弟達も一緒に楽しんだ。
その中でも、汚れないフィンガーペイントのあそびに最も夢中になってくれて、「ママ!絵の具ペタペタするのまたやりたい!」と言ってくれるようになり、感動!!!!!
そこからの娘の変化が別人級だった。
「出来ない、怖い」が口癖のように消極的だった娘が
「やってみようかな!できる気がする!」「私は私!」と言うようになり
アートや遊びに関わらず、色々な事にチャレンジできるようになった。
その理由は、筆を使わず色鮮やかで本格的なアートを描くことができるので
子供の想像以上の感動と、自分の力で出来るという経験が、娘の心を動かし、自分への自信(自己肯定感の向上)になっていったと思っている。
当時まだ赤ちゃんくらいの弟達も一緒に絵の具あそびを楽しむことができて、こんなにも年齢や性別に関係なく、発達のスピードにも関係なく、誰もが楽しめるあそびは唯一無二だ!!と感じた。
この感動を、同じように子育てやお家時間に悩む親子に知ってもらいたいと思ったのがキッカケとなった。
今でも、同年代の子に比べて発達ゆっくりさんで、できないことはたくさんあるが、悲観することは無く、自分の得意を伸ばし、できない事にも挑戦できる子になっていると感じている。小学生になった今、隙あらば絵を描いている。
当時、手探りで色んな遊びを考える中で、子供の頃に好きだったアクリル絵の具とキャンバスを使ったらいつまでも色褪せる事無く飾っていられると記憶を思い起こし、材料は独自で研究して活動を始めた。
















